児相被害110番 +

2020年版の児相被害110番(現在版)です。

オランダ母子亡命事件と10年後の書類送検

児童福祉の業界では2008年10月24日に起こった「オランダ女児連れ去り事件」とされるものは現行の児相権限を脅かすものとして恐れられた。これは児相被害者の間では児相被害を撲滅する会の水岡氏が命名した「オランダ母子亡命事件」として知られている。その事件が今年、10年ぶりに大きく動いた。なぜなのか?

そもそも、この事例は長崎児相により「親と子の意志に反して」無理やり施設入所させられた女児を救出するために母親が当団体に助けを求めてきたものである。当時、児相拉致されてしまった子供の救出にかなりの成功事例を出していた「家族破壊法犠牲家族支援の会」の協力を仰いだ。拉致児童の捜索、救出の後に協力団体で親子を守り、集団デモ抗議を児相に出向いて行う。そして支持者らの前で児相所長らに児童の拘束を解除させると言うのもので、これにより何人もの拉致児童が救出されたのだ。しかし、この当時から児相の対抗措置とそれに対して児童救出策を練る児相被害支援者たちの間で激しい攻防戦、イタチごっこが続いていた。そして後に分かるのであるが、この事件が起こるまでに児相による対策が練られていた。

この事件の詳細についてはいずれお話する機会もあろうが、2008年当時の児相被害110番の追記でめったに出ない28条審判による児童施設入所が却下された事例が出たと紹介されている。

jisouhigai.at.webry.info実はこの事例こそがオランダ事件のお母さんであるSさんである。施設入所が司法により却下されると親は子供に会えるのだろうか?ここで会える国なら児相被害団体など存在していない。児相は秘密裏に一時保護所から女児を連れ去り、行方知れずとなった。

そこからSさんの娘Yちゃんが救出され、母子は恐ろしい児童行政のある国から逃げ出すことになる。そして遠いオランダの地で幸せな生活を取り戻すことになるのだ。施設長と職員らの口裏合わせの偽りの証言により、逮捕者が出たのは悲しいこの国の現実であるが。

実は幸運にも児相被害から救出された子供は他にもいるが、全てがめでたしとはならない。長い拘禁生活のために、ほぼ例外なく、その後の生活の立て直しに非常に苦労することになるのだ。Yちゃんは更に18歳になるまでは、日本に戻れば児相に再び捕まってしまうために帰れない。恐らくYちゃんは日本児相が生み出した「児相難民」の始まりとでも言う被害に耐えてきた一人だ。

事件後のお母さんのSさんも固い決意で「私はもう日本に帰るつもりはありません」と言った。Sさんは救出計画段階でも「子供が戻ってくれれば、他のものは要らない」のだと固い決意を述べていた。

あれから10年の月日が流れた。そして、ついにYちゃんが晴れて日本の地を安全に踏める日がやってきた。昨年の4月23日のことである。当団体の当時の担当者がYちゃんと都内で10年ぶりに再開を果たし、日本児相という実に悪質な組織の魔の手から、今や完全に逃れ得た瞬間を喜び合った。10年かけてYちゃんが手にした勝利の瞬間だ。

その時にYちゃんは警察を訪れ、「オランダ女児連れ去り事件」は略取事件ではない事、自ら逃げた事、未だに母親が指名手配されている酷い状況なので、それを「解除して欲しい」と訴えた。

それから8ヶ月、長崎警察が出した答えが今回の書類送検である。

「連れ去りの母親を書類送検 虐待の実子、児童養護施設からオランダに」

this.kiji.isこれについても述べたい事はあるが、今は母子のために、この動きの結果を見守ることとしたい。

現在でもこの児童救出と児相の捕獲法の間ではたゆまぬ変化が起こっている。その中で救出を試み、いやいや司法で児相に勝たなければならないとする声、いやいや涙を飲んで児相の言いなりになり子供を返してもらうのだとの様々な主張がある。

どれが正解である等とおこがましいことは申し上げるつもりはない。

児相被害110番は現在では児相拘束から救出された子供たちとその親を支援する活動に軸足を移している。今後もこの親子をその他の帰還児童とその親と共に静かに見守っていくだけだ。